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人生朝露

人生朝露

老荘思想(Tao)とビートルズ(The Beatles)

荘子です。
荘子です。

今日は、ビートルズと老荘思想について。

マハリシとビートルズ(1968)。
世界で最も成功したロック・グループとして、今なお影響力をもつビートルズ。彼らが、インドのマハリシ・マヘシ・ヨギに瞑想を教わりに行ったり、楽曲にインドの伝統楽器・シタールが曲の中で使っていたりと、広い意味での東洋思想の影響が見られるというのはよく知られています。

ただし、それはインドだけにはとどまりません。インド以外の東洋思想として、明らかにそうだと言えるのは、
リボルバー。
アルバム「Revolver」のラスト、ジョン・レノンの“Tomorrow Never Knows”。チベットの『死者の書』にインスパイアされたと証言しています。

参照:The Beatles - "Tomorrow Never Knows" Mono
http://www.youtube.com/watch?v=tisjsgsgtZU

ロバート・サーマンとその娘。
例えば、ユマ・サーマンのお父さん、ロバート・サーマン(Robert Thurman 1941~)が西洋人で初めて得度を受けたのが、1964年。彼の場合のように、西洋思想を学んだ上で、東洋思想にのめりこむというタイプの学者は非常に多いです。ヒッピーカルチャーに代表される1960年代のアメリカ文化に、東洋思想が与えた影響を考えると、さほど不思議なことではないですよね。

参照:Wikipedia Robert Thurman
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Thurman

閑話休題。
サンフランシスコ公演のポスター 1966。
ビートルズの音楽性の変化というのは、やはり、1966年のサンフランシスコ公演を最後に、コンサート活動を行わず、スタジオでの制作に移行したことといわれております。いろんな要因があったとしても、最大の原因は聴衆の熱狂が異常で、安全が確保できず、純粋に音楽を聴いてもらえなかったことと、過剰な注目と報道によって、彼ら自身の自由が奪われることによる精神的な問題が影響したことは事実でしょう。外的なプレッシャーに対して、東洋の内的世界への興味がより強まった(地理的にも精神的にも)と考えるのが自然じゃないでしょうか?

元々は、ジョージ・ハリスン夫妻が主導的な立場でインドの瞑想に興味を持ったのは確かなので、「仏教」という枠組みでビートルズと東洋思想に触れる人は多いですが、それだけとは言えません。

ホワイトアルバム。
例えば、ジョージの“While My Guitar Gently Weeps”のタイトルは、四書五経のうちの一冊『易経(I-Ching)』のから着想を得て、本を選んで、そこからランダムにめくって「すすり泣く(gently weeps)」という単語を引き当てたとジョージが証言していますし、

参照:The Beatles-While My Guitar Gently Weeps
http://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo

参照:Wikipedia While My Guitar Gently Weeps
http://en.wikipedia.org/wiki/While_My_Guitar_Gently_Weeps

ティモシー・リアリーのカリフォルニア州知事選挙の応援歌として作曲されたジョンの“Come together”というタイトルも『易経』からです。

参照:The Beatles - Come Together with Lyrics
http://www.youtube.com/watch?v=sNSy4DX60vk&feature=related

Pakua。
『易経』に関しては、ビートルズ解散後のジョン・レノンの“God”にも出てきますし、ポールの詩集にも登場します。ここは、間違いなく仏教とは関係なく中国の古典が使われているパターンなんですが、ビートルズの楽曲には『易経』だけでなく、『老子道徳経』や『荘子』からの引用が見られます。

間違いないのは、1968年のシングルカット、“The Inner Light”でして、
“The Inner Light”(1968)。
“Without going out of your door
You can know all things on earth
With out looking out of your window
You can know the ways of heaven”

とありますが、これは『老子道徳経(Tao te ching)』の、第四十七章です。
老子。
『不出?知天下、不闚牖見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不為而成。』(老子道徳経 第四十七章)
→戸を出ずに天下を知り、窓から窺わずに天道を見る。その出るがいよいよ遠ければ、その知るは少なし。是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして明らかにし、為さずして成る。

そのまんま老子です。

参照:The Beatles - The Inner Light (2009 Stereo Remaster)
http://www.youtube.com/watch?v=7oSuzEqHOcE

『老子』の第四十七章というのは、日本の古典で言うとここです。

吉田兼好です。
≪すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。(『徒然草』第百三十七段)≫

『戸を出ずに天下を知り、窓から窺わずに天道を見る。』ですよね?

老子を読むジョンとヨーコ。
1968年の段階で、ビートルズのメンバーの手元に『老子』があったことは間違いないんですが、『荘子』はもっと早いと考えています。ジョン・ケージのように『荘子』との関係を公言することはありませんでしたが、感じるんですよ。

参照:ジョン・ケージと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5096

Zhuangzi
「吾又奏之以陰陽之和、燭之以日月之明。其聲能短能長、能柔能剛、變化齊一、不主故常。在谷滿谷,在孔満孔、塗谷守神、以物為量。其聲揮綽、其名高明。」
「吾又奏之以無怠之聲、調之以自然之命、故若混逐叢生、林樂而無形。布揮而不曳、幽昏而無聲。動於無方、居於窈冥、或謂之死、或謂之生。或謂之實、或謂之榮、行流散徒、不主常聲。世疑之、稽於聖人。聖也者、達於情而遂於命也。天機不張而五官皆備、此之謂天樂、無言而心説。」故有炎氏為之頌曰「聴之不聞其聲、視之不見其形、充満天地、苞裏六極。」汝欲聴之而無接焉、而故惑也。樂也者,始於懼、懼故祟。吾又次之以怠、怠故遁。卒之於惑、惑故愚、愚故道、道可載而與之具也。」(『荘子』天運 第十四)
→「私は、陰陽の気の調和をもって奏で、日月の光を灯し、長くもなれば短くもなり、硬くもなれば柔らかくもなり、変化に一定の法則を持たせながら、今までの常識にとらわれないようにした。谷に入れば谷全体に、穴にあっても穴全体に鳴り響かせるようなものだ。心にあいた隙間を埋め、心のありようを保ち、物に従いつつ量を変化させる。その音は光り輝き、高明と名づけることもできるだろう。そして私は、「休むことのない曲」を奏でた。自然の命に調和し、まるで混沌として草むらの草々が吹き出すかのような、林で木々がそれぞれ伸び上がるような、形があるようで形のない、広がっていて留まるところがなく、それでいて、ひっそりとして音のない世界じゃ。その音楽は、どこへともなく広がっていくようでいて、静寂こそが真髄にある。時には生、時には死、時には実、時には虚。流れるように、散らばるようにあって、今までの音色に拘らない。世の人が疑うならば、聖人に尋ねてみよ。人の心と、自然の命に通じた聖人ならば理解できよう。」

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(1967)
荘子の場合には、演奏方法を含めた音楽性そのものにも感じるんですよ。

参照:The Beatles - A Day In The Life
http://www.youtube.com/watch?v=P-Q9D4dcYng

今日はこの辺で。


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